仁淀川酔滸伝
   仁淀川を中心に夜な夜な宴会を繰り広げているキャンプ中毒?集団の隊長の日記だニャ~
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  • Author:いっけん
  • 中学生の頃に オレンジ色の三角テントでキャンプを体験し野外生活の素晴らしさに目覚め、いまだに一年中 仁淀川を中心にキャンプや釣りや色々と面白い事を楽しんでいる おやぢ です

    気の合った仲間と一緒にワイワイ言いながら美味い物を食べたり旨い酒を飲んで、キャンプをするのが大好き

    食べ物は特に麺類が好きで、一日一回麺類を食べなければ何か、損をしたように感じてしまう麺類依存症候群の症状が出てからはや30数年・・・・・・・・

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 雪蹊寺


ラーメンを食べたあとで、向ったのは・・・・・雪蹊寺



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寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。

『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。
天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。

寺に伝わる毘沙門天及び両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、
高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されている。
ただし、湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。
鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという伝承もある。

その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 - 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、
土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。
慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、
元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。
明治時代になると廃仏毀釈により一時廃寺となったが、大玄和尚が復興した。
廃仏毀釈により廃寺となった時、寺院跡に隣接して秦神社が建立され長宗我部元親が祀られた。




お遍路さんシリーズ、始まりかな・・・・・・・・・・・・?



種間寺に向かう途中にあった コスモス畑



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(2013/11/09(土) 20:56)

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